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東京高等裁判所 平成7年(行ケ)296号 判決 1998年3月24日

埼玉県川口市本町4丁目1番8号

原告

科学技術振興事業団

(旧名称 新技術事業団)

同代表者理事長

中村守孝

東京都港区虎ノ門1丁目7番12号

原告

沖電気工業株式会社

同代表者代表取締役

澤村紫光

宮城県仙台市青葉区米ケ袋1丁目6番16号

原告

西澤潤一

原告ら訴訟代理人弁護士

吉澤敬夫

同弁理士

平山一幸

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官 荒井寿光

同指定代理人

左村義弘

及川泰隆

小池隆

主文

特許庁が平成6年審判第11364号事件について平成7年8月25日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第1  当事者の求めた裁判

1  原告ら

主文と同旨の判決

2  被告

「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決

第2  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告(旧名称 新技術開発事業団)、原告西澤潤一及び訴外阿部仁志は、昭和59年11月21日、名称を「化合物半導体単結晶薄膜の成長方法」とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願(昭和59年特許願第244395号)した。

訴外阿部仁志は、昭和62年6月8日、本願発明につき特許を受ける権利の持分を原告沖電気工業株式会社に譲渡し、同年7月10日、その旨の特許出願人名義変更届を特許庁長官に提出した。

本願については、平成6年5月20日に拒絶査定を受けたので、原告らは、同年7月14日審判を請求し、平成6年審判第11364号事件として審理された結果、平成7年8月25日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決があり、その謄本は同年11月15日原告らに送達された。

2  本願発明の要旨

成長槽内を所定の圧力に排気する一方、基板を所定の温度に加熱し、化合物半導体の成分元素を含む複数のガス状分子のうちの第1のガス状分子を前記成長糟に所定の圧力で所定の時間導入し、排気後、前記化合物半導体の別の成分元素を含む第2のガス状分子を前記成長槽に所定の圧力で所定の時間導入することにより表面反応を生じさせて少なくとも1分子層を成長させるサイクルを少なくとも含み、更に以上のサイクルを繰り返すことにより所望の厚さの単結晶薄膜を単分子層の精度で成長させると共に、前記サイクルの異なるガス状分子の導入時間あるいは排気時間のそれぞれに異なる波長の単一波長光を照射することを特徴とする化合物半導体単結晶薄膜の成長方法。

3  審決の理由の要点

(1)  本願発明の要旨は前項記載のとおりである。

(2)  引用例

<1>「電子通信学会技術研究報告」Vol84、No.127、SSD84-55、“MOLECULAR LAYER EPITAXY”(1984.8.27)(以下「第1引用例」という。)には、光源を配置し、成長槽内を5×10-10Torr以下に排気し、基板を500℃に加熱し、アルシンを所定の時間(2~200秒)所定の圧力(10-7~10-3Torr)で導入し、排気後、TMGを所定の時間(0.5~20秒)所定の圧力(10-5~10-1Torr)で導入し、このようなサイクルを繰り返すことによりGaAsエピタキシャル膜を成長させるようにした光照射MLEによる化合物半導体単結晶膜形成方法が記載されている。

<2> 「電子通信学会技術研究報告」Vol84、No.127、SSD84-53、“GaAsの光照射エピタキシャル成長”(1984.8.27)(以下「第2引用例」という。)には、光励起プロセスの結晶成長において、「気相反応を励起するのに必要な光量子エネルギー、表面における吸着過程と表面反応を励起するのに必要な光量子エネルギー、表面泳動を励起するのに必要な光量子エネルギー、そして格子点に定着するのに必要な光量子エネルギーがそれぞれの過程で必要となる」、「以上のように個々の過程でそれぞれに最適の波長があるはずであるから、多波長の照射が必要となってくる。」という記載がなされている。

<3> 特開昭和58-98917号公報(以下「第3引用例」という。)には、特にその第3図に関し、Si化合物分子のSi膜への吸着工程の後、Hgランプによる光照射を行って化合物の分解と生成物ガスの除去を行うようにしたSi単結晶膜の光ALE法が記載されている。

(3)  対比

本願発明と第1引用例記載の技術内容とを対比すると、両者は、「成長槽内を所定の圧力に排気する一方、基板を所定の温度に加熱し、化合物半導体の成分元素を含む複数のガス状分子のうちの第1のガス状分子を前記成長槽に所定の圧力で所定の時間導入し、排気後、前記化合物半導体の別の成分元素を含む第2のガス状分子を前記成長槽に所定の圧力で所定の時間導入することにより表面反応を生じさせて少なくとも1分子層を成長させるサイクルを少なくとも含み、更に以上のサイクルを繰り返すことにより所望の厚さの単結晶薄膜を単分子層の精度で成長させると共に、光を照射することを特徴とする化合物半導体単結晶薄膜の成長方法。」という点で一致し、本願発明が、サイクルの異なるガス状分子の導入時間あるいは排気時間のそれぞれに異なる波長の単一波長光を照射するものであるのに対して、第1引用例の技術内容は、ガスの導入及び排気を通して同一の波長の光を照射するものであるという点で相違する。

(4)  相違点の検討

<1> 第2引用例には、光励起プロセスの結晶成長において、「気相反応を励起するのに必要な光量子エネルギー、表面における吸着過程と表面反応を励起するのに必要な光量子エネルギー、表面泳動を励起するのに必要な光量子エネルギー、そして格子点に定着するのに必要な光量子エネルギーがそれぞれの過程で必要となる」、「以上のように個々の過程でそれぞれに最適の波長があるはずであるから、多波長の照射が必要となってくる。」という記載がなされており、ここには、原子または分子の表面における吸着と表面反応の励起を行う過程と、それが格子点に定着する過程とにそれぞれ最適の波長の光を照射する必要性が示されている。また、第3引用例には、Si化合物分子のSi膜への吸着工程の後、Hgランプによる光照射を行って化合物の分解と生成物ガスの除去を行うようにしたSi単結晶膜の光照射ALE法が記載されており、ここには、後の段階の工程において光照射を行うことが示されている。

<2> 上記第2引用例における、原子または分子の表面における吸着と表面反応の励起を行う過程は、原料ガスの成長室への導入時に対応するものであり、また上記第3引用例における、吸着工程の後の化合物の分解と生成物ガスの除去を行う工程は、不要生成物の排気時に対応するものであるから、上記第2引用例と第3引用例の記載には、光照射エピタキシャル成長法において、ガス状分子の導入時間あるいは排気時間のそれぞれに異なる波長の単一波長光を照射することが示唆されていることが認められる。よって、上記第1引用例の技術内容において、ガス状分子の導入時間あるいは排気時間のそれぞれに異なる波長の単一波長光を照射するようにすることは、当業者が上記第2引用例及び第3引用例の技術内容に示唆されている内容に基づいて容易に想到し得たものと認められる。

(5)  以上のとおりであるから、本願発明は第1引用例ないし第3引用例の各技術内容から当業者が容易に発明をすることができたものであって、特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。

4  審決を取り消すべき事由

審決の理由の要点(1)は認める。同(2)<1>、<2>は認める。同(2)<3>のうち、第3引用例に記載のものが「Si単結晶膜の光ALE法」であることは否認し、その余は認める。同(3)は認める。同(4)<1>のうち、第2引用例に「原子」の表面における吸着と表面反応の開示があること、第3引用例に「Si単結晶膜の光照射ALE法」が記載されていることは否認し、その余は認める。同(4)<2>、同(5)は争う。

審決は、相違点の判断を誤って、本願発明の進歩性を否定したものであるから、違法として取り消されるべきである。

(1)  審決は、相違点の判断に当たり、「第2引用例における、原子または分子の表面における吸着と表面反応の励起を行う過程は、原料ガスの成長室への導入時に対応するもの」(甲第1号証6頁13行ないし16行)であると認定しているが、誤りである。

<1> 第2引用例の「気相成長法」と本願発明の「分子層エピタキシー」とは、生起する物理現象が全く異なるものである。すなわち、気相成長法においては、常圧の環境下で、2つの反応分子が拡散層という気体の層において反応し(気質反応)、基板に付着しその表面を自由に動き回って(表面泳動)、キンクに組み込まれる、という過程をたどる。これに対し、本願発明の分子層成長法では、高真空下で原料ガスを交互に基板結晶上に導入し結晶成長するので、反応装置内には常に1種類の原料ガスしか存在しない、いわゆる単分子反応である。ここでは、極めて高真空であるので、拡散層と呼ばれるものも存在せず、また気相中において反応すべき相手がいないので、いわゆる気相反応は起きない。本願発明の方法で基板表面に付着するのは原料分子の一方のみであり、第2引用例のモデルのように、同時に双方の原料分子が基板表面に付着することはない。また、第2引用例における吸着は、原料分子が基板表面を自由に動き回るように吸着されるが、本願発明の方法では、そのような吸着とは生起している現象が全く異なる。

<2> 第2引用例の「気相成長法」における反応機構すら研究途上であり、第2引用例に記載の素過程のモデルも一つの仮説にすぎないものであり、ましてこれより新しい技術である本願発明の分子層エピタキシーにおける反応機構や素過程などは、当時まだほとんど未解明の分野であり、これに気相成長法において考えられていたモデルを当然のようにあてはめることなどは、当技術分野の技術者からみれば無謀な議論というほかない。

(2)  審決は、「第2引用例と第3引用例の記載には、光照射エピタキシャル成長法において、ガス状分子の導入時間あるいは排気時間のそれぞれに異なる波長の単一波長光を照射することが示唆されている」(甲第1号証6頁末行ないし7頁3行)と認定しているが、誤りである。

<1> 本願発明の分子層エピタキシーは、高真空下において、(a)原料ガス導入、(b)同ガス排気、(c)他の原料ガス導入、(d)同ガス排気の4つに分割された工程からなっている。

そして、本願発明は、「ガス導入時とガス排気時にそれぞれ異なる波長の単一波長光を照射する」ことを内容とする。

<2> 審決は、本願発明の操作の工程を、第2引用例の素過程毎に分割しているものと誤解し、本願発明の原料ガスの導入時に、第2引用例の「吸着」と「表面反応」の素過程が起き、本願発明の排気工程において「化合物の分解」と「生成ガスの除去」が起きるものとして対応させている。

しかしながら、本願発明のガス導入と排気を繰り返す操作の工程を、第2引用例に示されている素過程毎に分割しているものととらえることは、大きな誤りである。

本願発明の方法においては、第2引用例のモデルにおける素過程に分割して光照射をしているのではなく、操作工程におけるガス導入時と排気時とに分割して、別々の光を照射しているのであり、ガス導入時にも第2引用例でいう「吸着」と「表面反応」をねらって光照射をしているのではない。

第2引用例では、気相成長法を前提とした連続成長の反応素過程のモデルにおいて、それぞれの反応素過程に適当な光を、重畳的かつ連続的に照射し、その光の強度で各反応を制御しようとしているのであって、第2引用例には、それぞれの反応素過程毎に分解して、異なる波長の光を照射することの示唆はない。

また、審決が、本願発明のガス排気工程を第2引用例のどの素過程に対応させたのかは明確でない。

<3> 審決が、本願発明の「ガス導入工程」に対応させた第2引用例の「吸着と表面反応の励起を行う過程」というのは、第2引用例の「素過程」の一部を取り出したものであり、一方は「作業工程」であり、他方は「素過程」という全く異なるもの同士を対比させている誤りがある。

本願発明の操作の工程は、第2引用例の素過程毎に分割しているものではなく、本願発明の(a)と(c)の原料ガスの導入時には、第2引用例の「吸着」と「表面反応」という素過程のみが起きるわけではなく、反応機構は全く異なるが、反応全部が導入過程ですべて起きて完了してしまう。本願発明の光照射は、そのガス導入時においては連続的に行われているから、「吸着」と「表面反応」という素過程が発生する時間にのみ光照射をしているものでもない。

<4> 以上要するに、審決が、「上記第2引用例における、原子または分子の表面における吸着と表面反応の励起を行う過程は、原料ガスの成長室への導入時に対応する」とした認定は、その対比自体が「作業工程」と「素過程」という全く性質の異なるもの同士の対比であって誤りであるうえ、第2引用例には、ガス導入と排気という作業工程に分割して、異なる波長の光照射をするという技術の開示はない。

また、第3引用例には、生成物ガス除去工程に光を当てることの開示があるだけで、ガス導入時と排気時で異なった波長の光照射を行うという技術の開示はない。

審決は、本願発明のガス導入時は第2引用例の「反応素過程」と対比させ、ガス排気時は第3引用例の「排気工程」という作業手段と対比させるという奇妙な対比を行っているが、第3引用例との対比が、第2引用例の反応素過程とは関係がないものであるとすると、審決の「ガス状分子の導入時間あるいは排気時間のそれぞれに異なる波長の単一波長光を照射することが示唆されている」(甲第1号証7頁1行ないし3行)という結論は、一体何処から導き出されるのか理解することができない。

上記のとおりであって、第2引用例からも第3引用例からも、「ガス状分子の導入時間あるいは排気時間のそれぞれに異なる波長の単一波長光を照射することが示唆されている」などという審決の結論が導かれる筈はない。

(3)  審決が、第3引用例における化合物の分解と生成物ガスの除去を行う工程を本願発明の排気工程と対比したことは誤りである。

<1> 第3引用例に開示されている手段は、(a)Si基板上にSiClyを吸着させること、(b)常温から100℃以下において水銀ランプの光照射によるSiClyの分解によるClガスの除去を行うというものにすぎず、本願発明のようにガス導入後再度高真空とすることによって「ガス状分子の排気」をする工程があることなどは記載されておらず、また、そのような「ガス状分子の排気工程」に光を照射することも記載されていない。

したがって、第3引用例のガス排気部分のみをとらえて、これを本願発明におけるガス排気工程と対応するものとすることは技術的に無理がある。

<2> 第3引用例には、水銀ランプの光を当てることにより、100℃以下の温度でSiの結晶成長をさせることが記載されているが、そのような技術は実現不可能であり、実現できない技術を本願発明に当てはめることは誤りである。

第3  請求の原因に対する認否及び反論

1  請求の原因1ないし3は認める。同4は争う。審決の認定、判断は正当であって、原告ら主張の誤りはない。

2  反論

(1)<1>  第2引用例(甲第15号証)には、「格子点に定着するのに必要な光量子エネルギーがそれぞれの過程で必要となる。」(62頁左欄14行ないし16行)と記載されており、一方、本願明細書(甲第2号証)には、「そして安定的に固着するのに必要なエネルギーがそれぞれの過程で必要である。」(7頁18行、19行)と記載されている。これに対して、審決の相違点の判断における第2引用例の技術内容についての認定は、「原子または分子の表面における吸着と表面反応の励起を行う過程と、それが格子点へ定着する過程とにそれぞれ最適の波長の光を照射する必要性が示されている。」というものである。

しかして、審決における判断は、本願発明の「安定的な固着に対し、そのための光量子エネルギーが必要である」という点に対して、第2引用例中の「格子点への定着に対し、そのための光量子エネルギーが必要である」という部分を対応させているのであって、第2引用例における“泳動距離が大きいか、小さいか”、あるいは“キンク成長が主か、ダングリングボンド結合が主か”というようなことまでをも判断の内容に含んでいるのではない。

そして、本願発明には、気相反応過程が存在しなくとも、第2引用例記載の各素過程のうち、(a)吸着過程、(b)表面反応過程、(c)表面泳動過程、(d)格子点への定着過程が存在することは明らかである。また、これらの素過程の物理現象は、基本的な部分において、“単分子反応”か“2分子反応”かということにかかわらず、本願発明と第2引用例の技術内容との間に共通したものであることも明らかである。

<2>  原告らは、第2引用例に記載の素過程反応モデルは一つの仮説にすぎないと主張しているが、「3.GaAsの光照射エピタキシャル成長」(甲第15号証62頁右欄1行ないし66頁左欄5行)は、「反応モデル」の一部を実施証明しようとしたものであることは明白であり、単なる仮説ではない。

(2)<1>  第2引用例(甲第15号証)には、気相反応、吸着、表面泳動、表面反応、脱着、定着という気相反応における分子、原子の挙動が示され、更に極めて当然のこととして、「原料ガスの気相中での反応に有効な波長の光があり、また他の不純物ガスの分解に有効な波長の光もわかれば、これらの使い分けによって表面に吸着する成分の制御ができる」(62頁左欄16行ないし20行)と記載されているので、各ガスのそれぞれの吸着過程、表面反応過程、安定的な定着過程のそれぞれに最適の波長の光を照射する、という考え方が第2引用例にすべて示されているのであり、この考え方と第3引用例における「サイクルの繰り返しで膜形成を行う方法において、排気工程に単一波長の光を照射する」という考え方とから、本願発明における「サイクルの異なるガス状分子の導入時間あるいは排気時間のそれぞれに異なる波長の単一波長光を照射する」ということは、当業者が容易に想到し得たことである。

<2>  第2引用例(甲第15号証)には、「一連のプロセスはいくつかの素過程から成っているが、」(61頁右欄下から2行ないし1行)と記載されているが、この記載中の“プロセス”という用語は、この記載の前に出てくる「光励起プロセス」(同頁右欄4行及び19行)あるいは「低温プロセス」(同頁左欄20行)という用語中の“プロセス”と同意義であるとすると、“作業工程”という意味である。したがって、上記記載は別の言い方をすると、「一連の作業工程はいくつかの素過程から成っているが、」という意味と理解することができる。もとより、「素過程」と「作業工程」とは、表面上一応異なるものではあるが、第2引用例(甲第15号証)にも「各素過程を個々に制御できるので」(62頁左欄1行、2行)との記載があるように、各素過程はその制御と一体のものと考えられているのであり、「各素過程の制御」とは「作業工程の制御」に相当するから、「素過程」と「作業工程」とは厳密に区別して論ずる意味がない、というのが当該技術分野の常識である。

したがって、「素過程」と「作業工程」とは全く性質の異なるものである旨の原告らの主張は失当である。

<3>  また、第2引用例中の「一連のプロセスはいくつかの素過程から成っているが、」との記載における「一連のプロセス」というのは、一般に、時間分割によって構成された各プロセスから成っているということも、当該技術分野の技術常識である(乙第9号証)。ひいては、「いくつかの素過程」も、同様に、時間分割によって構成された各素過程から成っている、ということも当該技術分野の技術常識である。例えば、第2引用例において反応モデルとして示されている、気相反応、吸着、表面泳動、表面反応、脱着、定着、という一連の各素過程にしても、例外はあるにしても、全体に時間の流れに沿ったものであるから、これらの各素過程にしても、「時間分割によって構成されたもの」ということができる。したがって、各素過程の制御というのは時間分割制御と同義である。すなわち、第2引用例の技術内容において、各素過程でそれぞれに最適の波長の光を照射する、ということは、“各素過程に対応した時間に分割して、それぞれ最適の波長の光を照射する”ということと実質的に同義である。

また、このように、第2引用例に示されている異なる波長の光を照射するという各素過程の制御方法は、時間分割した素過程の制御方法、すなわち、時間分割した作業工程を示唆するものである。

したがって、第2引用例には異なる波長の光照射を時間分割して行うという技術は開示されていない旨の原告らの主張は失当である。

<4>  第3引用例における、(a)Si基板へのSicly吸着工程がガス導入時間に行われ、(b)Sicly吸着層へのH層吸着、反応工程が排気時間に行われることは明らかである。そして、第3引用例の技術内容は、このうちの排気時間において光照射と光反応を行う光励起原子層エピタキシーである。また、第3引用例の各工程は、原子層エピタキシーにおける1ないし複数の素過程を含む。すなわち、第3引用例の技術内容は、本願発明と同様に、ガス状分子の導入時間と排気時間とに、光照射を行うまたは行わないという素過程の制御を行っている。

更に、上記のとおり、第2引用例の技術内容において、各素過程でそれぞれに最適の波長の光を照射する、ということは、“各素過程に対応した時間に分割して、それぞれ最適の波長の光を照射する”ということと実質的に同義であって、第2引用例には、各素過程において単に波長の異なる光を照射する方法が記載されているばかりでなく、光照射は各素過程の制御、すなわち時間分割を行うという考え方も内在しているのである。

したがって、第1引用例の技術内容において、ガス状分子の導入時間と排気時間とに同一の波長の光を照射することに代えて、その導入時間と排気時間とに異なった波長の光を照射するようにすることは、第2引用例及び第3引用例に示された技術内容に基づいて当業者が容易に想到し得たことなのである。

(3)<1>  第3引用例において、光照射によるSicly分解によるClガス除去が排気工程であることは明らかである。

<2>  実現性の問題と本願発明の公知技術容易性の問題とは全く異なった性質のものであり、補助引用例が備えるべき条件は完成された発明でなくとも、公知技術でありさえすればよいのであるから、第3引用例の技術内容の実現性それ自体は、審決の妥当性に何らの影響を及ぼさない。

第4  証拠

本件記録中の書証目録記載のとおりであって、書証の成立はいずれも当事者間に争いがない。

理由

1  請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、同2(本願発明の要旨)及び同3(審決の理由の要点)、及び、審決の理由の要点(2)(第1ないし第3引用例の各記載事項の認定。但し、第3引用例記載のものが「Si単結晶膜の光ALE法」である点を除く。)、同(3)(一致点及び相違点の認定)については、当事者間に争いがない。

2  本願発明の概要

甲第2号証、甲第18号証及び甲第23号証によれば、本願発明は、「先に開発した分子層エピタキシャル成長層を更に改良して、より高品質な化合物半導体単結晶薄膜を単分子層の桁で成長させる方法を提供することを目的」(甲第2号証8頁8行ないし11行)として、本願発明の要旨のとおりの構成を採択したものであって、「超高真空に排気した成長槽内で基板に加熱し、その基板上に成長させたい複数の成分を含むガスのうち第1のガスを導入し単分子層吸着させ、次に第2のガスを外部から導入することにより表面反応を生じさせると共に、外部から基板にそれぞれの結晶成長過程に有効な特定の波長の光を選び照射するため、2種類以上の単色光を照射することあるいは特定の時間帯のみ周期的に照射するようにしたことを特徴として」(甲第2号証8頁13行ないし20行、甲第18号証2頁4行ないし10行)おり、「結晶成長の各過程に必要な励起エネルギーを熱エネルギーではなく、特定の波長成分を含む光を照射することにより供給するようにしたので、低温のまま完全性の高い良質な結晶を一層ずつ成長させることができる。また、不純物の添加を一層ずつ行なうことができるので非常に急峻な不純物密度分布を得ることができる」(甲第2号証15頁17行ないし16頁4行)という効果を奏するものであることが認められる。

3  取消事由に対する判断

(1)  審決には、「上記第2引用例における、原子または分子の表面における吸着と表面反応の励起を行う過程は、原料ガスの成長室への導入時に対応するものであり、また上記第3引用例における、吸着工程の後の化合物の分解と生成物ガスの除去を行う工程は、不要生成物の排気時に対応する」(甲第1号証6頁13行ないし19行)とあるとおり、審決は、相違点の判断に当たり、第2引用例(甲第15号証)における、原子または分子の表面における吸着と表面反応の励起を行う過程が、本願発明における原料ガスの成長室への導入時に、第3引用例(甲第16号証)における、吸着工程後の化合物の分解と生成物ガスの除去を行う工程が、本願発明における不要生成物の排気時にそれぞれ対応するものと認定しているものと認められる。

審決の上記認定自体の当否はさて措き、相違点に係る本願発明の構成である「サイクルの異なるガス状分子の導入時間あるいは排気時間のそれぞれに異なる波長の単一波長光を照射すること」が、第2引用例、第3引用例に示唆されているか否かについて、以下検討する。

(2)<1>  第2用例(甲第15号証)には、次の各記載があることが認められる(但し、一部については当事者間に争いがない。)。

(a)「気相エピタキシーの場合にはFig.1に示すように表面に吸着した粒子が表面上を泳動してキンクに組込まれて格子を組んでいく。従って、気相反応を励起するのに必要な光量子エネルギー、表面における吸着過程と表面反応を励起するのに必要な光量子エネルギー、表面泳動を励起するのに必要な光量子エネルギー、そして格子点に定着するのに必要な光量子エネルギーがそれぞれの過程で必要となる。」(62頁左欄7行ないし16行)

(b)「原料ガスの気相中での反応に有効な波長の光があり、また他の不純物ガスの分解に有効な光の波長もわかれば、これらの使い分けによって表面に吸着する成分の制御ができる。」(62頁左欄16行ないし20行)

(c)「以上のように個々の過程でそれぞれに最適の波長があるはずであるから、多波長の照射が必要となってくる。多波長の光照射を行なって、各波長の強度を制御すればそれぞれの過程を個々に制御できるものと考えられる。律速過程となる過程を促進する波長の光照射だけでも充分であるが、添加不純物量までも照射波長の相対強度で制御できるものと考えられるので、多波長光励起が最も将来性があるものと思われる。」(62頁左欄34行ないし末行)

しかして、第2引用例の上記各記載からは、気相エピタキシーの各過程に対し、それぞれ最適の波長の光が存在し、その最適の波長の光を照射する必要があること、そして、それに対応するものとして、「多波長の光照射」という手段があることを理解することができるが(第2引用例には、分子の表面における吸着と表面反応の励起を行う過程と、それが格子点に定着する過程とにそれぞれ最適の波長の光を照射する必要性が示されていることは、当事者間に争いがない。)、第2引用例には、素過程(作業工程)を分割して単一波長光の照射を行うという技術思想はなく、第2引用例に、「ガス状分子の導入時間あるいは排気時間のそれぞれに異なる波長の単一波長光を照射する」という事項が示唆されているものと認めることはできない。

<2>  被告は、第2引用例の技術内容において、各素過程でそれぞれに最適の波長の光を照射する、ということは、”各素過程に対応した時間に分割して、それぞれ最適の波長の光を照射する”ということと実質的に同義であり、第2引用例に示されている、異なる波長の光を照射するという各素過程の制御方法は、時間分割した素過程の制御方法、すなわち時間分割した作業工程を示唆するものである旨主張している。

しかし、第2引用例の技術内容において、素過程に対応した時間に分割するということ自体採用し難いところである。そして、上記<1>(c)中の「律速過程となる過程を促進する波長の光照射だけでも充分であるが、添加不純物量までも照射波長の相対強度で制御できるものと考えられる」との記載を考慮すると、第2引用例においては、「多波長」として、単一波長光を時系列的に次々と照射するものとは考え難く、上記「多波長」とは、「同時に重畳的に照射」するものと解される。

したがって、被告の上記主張は採用できない。

(3)<1>  前記(1)のとおり、審決は、第2引用例の「原子または分子の表面における吸着と表面反応の励起を行う過程」を本願発明の「原料ガスの成長室への導入時」に、第3引用例の「吸着工程後の化合物の分解と生成物ガスの除去を行う工程」を本願発明の「不要生成物の排気時」にそれぞれ対応させているところ、本願発明における「サイクルの異なるガス状分子の導入時間あるいは排気時間のそれぞれに異なる波長の単一波長光を照射する」という構成をも併せ考えると、審決は、光照射に関し、第2引用例に係る光の波長と第3引用例に係る光の波長とが異なることを前提として、「上記第2引用例と第3引用例の記載には、光照射エピタキシャル成長法において、ガス状分子の導入時間あるいは排気時間のそれぞれに異なる波長の単一波長光を照射することが示唆されている」(甲第1号証6頁末行ないし7頁3行)と認定しているものと解される。

しかしながら、仮に、第2引用例の「原子または分子の表面における吸着と表面反応の励起を行う過程」が本願発明の「原料ガスの成長室への導入時」に対応するものであり、第3引用例の「吸着工程後の化合物の分解と生成物ガスの除去を行う工程」が本願発明の「不要生成物の排気時」に対応するものであるとしても、第2引用例に、気相エピタキシャルの各過程に対し、それぞれ最適の波長の光が存在し、その最適の波長の光を照射する必要があることが示されていること、あるいは、分子の表面における吸着と表面反応の励起を行う過程と、それが格子点に定着する過程とにそれぞれ最適の波長の光を照射する必要性が示されていること、第3引用例には、Si化合物分子のSi膜への吸着工程の後、Hgランプによる光照射を行うようにしたものが記載されており、ここには、後の段階の工程において光照射を行うことが示されていること(この点は当事者間に争いがない。)をもって、第2引用例及び第3引用例に「ガス状分子の導入時間あるいは排気時間のそれぞれに異なる波長の単一波長光を照射すること」が示唆されているということはできない。

ちなみに、第2引用例と第3引用例に開示された光の波長について見ると、甲第15号証(第2引用例)には、「3.GaAsの光照射エピタキシャル成長」という項に、Ga-AsCl3-H2系のハロゲン輸送法に関し、Gaソース領域に249nm、222nmのエキシマレーザ光を照射する旨の記載があることが認められる。一方、甲第16号証(第3引用例)には、「Hg(「Hj」は誤記と認める。)ランプ14からの光を試料表面に照射することにより、試料表面に吸着せる1分子層のSiClyが分解し、SiとClとに光分解され、Siが試料表面に1原子層で形成されることとなる。」(2頁左上欄13行ないし17行)と記載されているところ、弁論の全趣旨によれば、Hgランプの光の波長は、一般に使用される「高圧水銀ランプ」の場合、436nm、405nm、365nm等であることがうかがわれる。

しかし、第2引用例は「GaAs」に関する場合であり、第3引用例は「Si」に関する場合であって、対象とする成分が異なるから、上記のとおりの光の波長の相違をもって直ちに、第2引用例及び第3引用例が、サイクルの異なる時間に異なる波長の光を照射することを教示しているということはできない。

第2引用例及び第3引用例には、光の波長について、他に具体的数値をもって記載されたところはなく、相違点の判断の前提である、第2引用例に係る光の波長と第3引用例に係る光の波長とが異なるものであると認めることはできない。

そして、第3引用例で用いられるHgランプは単一波長光ではないことは、技術的に明らかである。

<2>  被告は、第2引用例(甲第15号証)には、気相反応、吸着、表面泳動、表面反応、脱着、定着という気相反応における分子、原子の挙動が示され、「原料ガスの気相中での反応に有効な波長の光があり、また他の不純物ガスの分解に有効な波長の光もわかれば、これらの使い分けによって表面に吸着する成分の制御ができる」(62頁左欄16行ないし20行)と記載されているので、各ガスのそれぞれの吸着過程、表面反応過程安定的な定着過程のそれぞれに最適の波長の光を照射する、という考え方が第2引用例にすべて示されているのであり、この考え方と第3引用例における「サイクルの繰り返しで膜形成を行う方法において、排気工程に単一波長の光を照射する」という考え方とから、本願発明における「サイクルの異なるガス状分子の導入時間あるいは排気時間のそれぞれに異なる波長の単一波長光を照射する」ということは、当業者が容易に想到し得たことである旨主張している。

しかし、審決は、「上記第2引用例と第3引用例の記載には、光照射エピタキシャル成長法において、ガス状分子の導入時間あるいは排気時間のそれぞれに異なる波長の単一波長光を照射することが示唆されていることが認められる。」(甲第1号証6頁末行ないし7頁4行)としているのであって、第2引用例、第3引用例から上記事項を容易に想到し得たものと説示しているわけではないし、第2引用例、第3引用例に「ガス状分子の導入時間あるいは排気時間のそれぞれに異なる波長の単一波長光を照射すること」が示唆されているということができないことは、上記<1>に説示のとおりである。

(4)  上記(2)、(3)によれば、第2引用例、第3引用例には、サイクルの異なるガス状分子の導入時間あるいは排気時間のそれぞれに異なる波長の単一波長光を照射することが示唆されているとは認められず、「第2引用例と第3引用例の記載には、光照射エピタキシャル成長法において、ガス状分子の導入時間あるいは排気時間のそれぞれに異なる波長の単一波長光を照射することが示唆されている」(甲第1号証6頁末行ないし7頁3行)とした審決の認定は誤りである。

したがって、上記認定を前提として、「上記第1引用例の技術内容において、ガス状分子の導入時間あるいは排気時間のそれぞれに異なる波長の単一波長光を照射するようにすることは、当業者が上記第2引用例及び第3引用例の技術内容に示唆されている内容に基づいて容易に想到し得たものと認められる。」(同7頁4行ないし9行)とした審決の判断は誤りであり、原告ら主張の取消事由は理由がある。

4  よって、原告らの本訴請求は理由があるから認容し、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊藤博 裁判官 濵崎浩一 裁判官 市川正巳)

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